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HA・RI☆KI・RIナイト~忘却は哀しい罪である

月齢14.5。日付が変わって4月12日(水)。
ひとつき経つの早すぎてびっくり(>_<)(>_<)(>_<)

でも、時間が経っても覚えていてくれる人がいるということが望外の喜びである。

子どものころ、人の名前や出来事を覚えておくことが得意でした。
少なくとも得意だと思ってた。
「〇〇ちゃん、××って言ってたよね!」
「あ、〇〇ちゃん、久しぶり!」
「××したのは〇〇くんだよ~」
なんて時に周りは「ん?そうだっけ?」「あれ?会ったことあった?」みたいに言われると、素直なわたしはわたしって物覚えがいい!もしくは周りは忘れっぽいんだ!って思ったもの。

それはそうと、これがある時ふと哀しくなった。

わたしが嬉々として語った思い出を相手が覚えていなかったり、わたしは知ってるその人がわたしを知らないと言ったり。

それがふと、寂しくなった。

そして、高校生の時には、わたしは覚えなくなった。

一夜漬けのテスト勉強みたいに。

クラスメイトは1年間付き合いがあるからまぁ覚えるけど、そう1年。

次の年には忘れてしまったり、体育祭や文化祭みたいなイベントのことも毎年リセットするような感じ。

だから、1年生のときのクラスメイトが3年次また同級になったとき「また一緒になったね!」と言われて曖昧に笑ったり、3年間クラスメイトの友人の言う「〇〇なことあったよね~」を覚えていなかったり。

忘れてしまえば、わたしは哀しくないから。寂しくないから。

それは大人になっても続いていて、会社を変わるたび、プロジェクトを終えるたび殊「人」に関することはほんっとうに忘れてきた。こんなすごい人がいたな~と思っても顔と名前は覚えていないし、こんな風にとてもお世話になったんだよね~でも社名すら思い出せない。特技だとすら思っている。

 

今日は2年ぶりにHA・RI☆KI・RIナイトに参加してきた。
出産を機に退会した経営者団体の小さな活動グループのリーダー会とでもいうか・・・わたしはそこに1年携わらせてもらった。
打診されたとき、「面倒そう」ということは分かっても会の本質や活動の詳細のわからないわたしは体育会系のノリでお受けしたものだ(笑)
会の本質や活動の詳細はさぼりながらの1年じゃ結局分からなかったわけだど(笑)

その1年間、たまに顔を出してはニコニコしていただけのわたし。

そのわたしにもご招待が来たHA・RI☆KI・RI同窓会💛
招待を受けたとき、面倒だとは思わなかった。
素直に嬉しかった。

本体の会自体を退会し、ビジネス活動も1年以上休止、この2年の間個別にお会いした人はいるけれどほんの数回。

それなのに、憶えていてくれたことが嬉しかった。
思い出を共有する仲間として、いまも変わらず扱ってもらえていることが嬉しかった。
笑顔で「久しぶり」と迎えてくれる、そのことが嬉しかった。
寂しい思いをさせないように・・・その気遣いが嬉しかった。

ありがとうございます。

帰り道、満月に照らされて白く光る桜を見て、涙があふれた。
嬉しくて、哀しかった。
わたしは忘れすぎてしまったから。

忘れられることは哀しくて寂しいけれど、忘れてしまうことも哀しくて寂しいことだ。

これからは、憶えていられるだけ憶えていたい。