FREE AT LAST ついに自由
愛読書『アニマルロジック』の最後の一文。
わたしは呪文のようにこの言葉を唱える。
毎日のように。
そのことに氣がついた。
そう、ほんとに、氣がついたのだ。
Al-commuと家事育児のバランス、KANAu場。をどう発信しようか?猫カフェまでどう歩もう?
その方法ばっかり考えて、3歩進んで5歩下がるような毎日に、昨日はふと疲れてしまった。
お風呂で一言「フリーアトラスト、ついに自由」口をついて出た。
全然、そんな心境じゃなかったけれど(笑)
そして氣が付いた。
そう、わたしはこれをやりたいのだ。
Free at last
わたしにも、あなたにも、そのためのKANAu場。だし、そのための猫カフェ、初めに考えたのは採算ではなかったはずだ。
ただ、解放されたい。解放したい。
心を
精神を
魂を
わたしたちは、なんとも不自由なこの身体にまた戻ってきたがるけれど、真に魂が解放された時にはあの場所に行けるのだろう。
ひとかたまりの光の場所。
魂の解放の前に身体が使えなくなってしまうから、また戻ってきてやり直すのだろう、延々と。そう延々と。
わたしは解放したい。
自由に、自由に、そこには愛の光があるだろう。
HA・RI☆KI・RIナイト~忘却は哀しい罪である
月齢14.5。日付が変わって4月12日(水)。
ひとつき経つの早すぎてびっくり(>_<)(>_<)(>_<)
でも、時間が経っても覚えていてくれる人がいるということが望外の喜びである。
子どものころ、人の名前や出来事を覚えておくことが得意でした。
少なくとも得意だと思ってた。
「〇〇ちゃん、××って言ってたよね!」
「あ、〇〇ちゃん、久しぶり!」
「××したのは〇〇くんだよ~」
なんて時に周りは「ん?そうだっけ?」「あれ?会ったことあった?」みたいに言われると、素直なわたしはわたしって物覚えがいい!もしくは周りは忘れっぽいんだ!って思ったもの。
それはそうと、これがある時ふと哀しくなった。
わたしが嬉々として語った思い出を相手が覚えていなかったり、わたしは知ってるその人がわたしを知らないと言ったり。
それがふと、寂しくなった。
そして、高校生の時には、わたしは覚えなくなった。
一夜漬けのテスト勉強みたいに。
クラスメイトは1年間付き合いがあるからまぁ覚えるけど、そう1年。
次の年には忘れてしまったり、体育祭や文化祭みたいなイベントのことも毎年リセットするような感じ。
だから、1年生のときのクラスメイトが3年次また同級になったとき「また一緒になったね!」と言われて曖昧に笑ったり、3年間クラスメイトの友人の言う「〇〇なことあったよね~」を覚えていなかったり。
忘れてしまえば、わたしは哀しくないから。寂しくないから。
それは大人になっても続いていて、会社を変わるたび、プロジェクトを終えるたび殊「人」に関することはほんっとうに忘れてきた。こんなすごい人がいたな~と思っても顔と名前は覚えていないし、こんな風にとてもお世話になったんだよね~でも社名すら思い出せない。特技だとすら思っている。
今日は2年ぶりにHA・RI☆KI・RIナイトに参加してきた。
出産を機に退会した経営者団体の小さな活動グループのリーダー会とでもいうか・・・わたしはそこに1年携わらせてもらった。
打診されたとき、「面倒そう」ということは分かっても会の本質や活動の詳細のわからないわたしは体育会系のノリでお受けしたものだ(笑)
会の本質や活動の詳細はさぼりながらの1年じゃ結局分からなかったわけだど(笑)
その1年間、たまに顔を出してはニコニコしていただけのわたし。
そのわたしにもご招待が来たHA・RI☆KI・RI同窓会💛
招待を受けたとき、面倒だとは思わなかった。
素直に嬉しかった。
本体の会自体を退会し、ビジネス活動も1年以上休止、この2年の間個別にお会いした人はいるけれどほんの数回。
それなのに、憶えていてくれたことが嬉しかった。
思い出を共有する仲間として、いまも変わらず扱ってもらえていることが嬉しかった。
笑顔で「久しぶり」と迎えてくれる、そのことが嬉しかった。
寂しい思いをさせないように・・・その気遣いが嬉しかった。
ありがとうございます。
帰り道、満月に照らされて白く光る桜を見て、涙があふれた。
嬉しくて、哀しかった。
わたしは忘れすぎてしまったから。
忘れられることは哀しくて寂しいけれど、忘れてしまうことも哀しくて寂しいことだ。
これからは、憶えていられるだけ憶えていたい。
インフルエンザを自己治癒するの巻
草木萌えいずる3月2日。や~寒かったですけどもね。
わたくし先週末に5年ぶりにアレやっちゃいましたアレ。
インフル!!( ノД`)
水曜日の夜に籠姫に熱が出て、寒かったしね~と思ってたら金曜日のお昼前からゾクゾク。
ゾクゾク。
アレ?これ、インフルじゃね?ってすぐわかるゾクゾクでした。
そこでわたくし、自宅療養ということで、自宅内隔離されて過ごしていました。
準備物は麻黄湯とカロナール(アセトアミノフェン)、大量のお水と甘酒、液体ミネラルサプリ、毛布と着替えとカイロをたくさん。
最初の夜、ゾクゾクが終わる前に麻黄湯で一服、すると汗ばむので着替え。
その後まが発熱して39度越え。足腰が砕けそうなほどの痛みに悶絶するのでカロナールを服用すると35度台まで下がる・・・というのを土曜日の午前中まで3回ほど繰り返し。
このころになると熱に慣れて節々の痛みがそれほどでもないので、以降カロナールは飲みません。
途中、甘酒と液体ミネラルで栄養を補充しながら、体力のすべてを免疫向上・NK細胞の活動に回すべく、食事はとらず大人しく過ごすこと更に二晩。
月曜日の朝にはすっかり平熱36度5分♡
ここから3日の絶食からの回復食として重湯に始まってお粥+お味噌汁、軟飯+お味噌汁+まごわやさしい和食まで先ほどやっと回復いたしました(´▽`*)
思考も視界もクリアで最高です!
自宅療養万歳♡
敬意をどう表すか?
霞、たなびき始める2月23日。
晴天とはいかないまでも、もわっと温かい季節に春のにおいを感じる。
わたしは人様にあれこれとモノ申す仕事をしながら、同じことを自分がするのはなかなか難しいこともまた知っている。
例えばそう、毎日のブログ更新(笑)
尊敬するコンサルタントのお一人である風水薬膳茶師の浦田さんが毎日更新されるブログは程よい長さでサラッと読めて面白いうえにちょっと豆知識仕入れられたり、元氣を分けてもらったりととてもクオリティが高い。
アメブロだけどリンク張ってみた(笑)
浦田さんにも許可取ってないけど、怒らないと信じる・・・この辺りがわたしのコミュ力の弱さ。
報連相は組織の中にだけ適用されるものではない。
わたしのような個人事業主にこそ必要なスキル。
何かしてほしいときだけ連絡してはいないか?
協力要請のその後のお礼と後々の報告、都度都度の報告ってとっても大切。
月初のとあるお茶飲み会でもそんな話をしたばかり・・・。
「お願い」って実は勇気を出して連絡したりしてるから、お願いを伝えて電話を切るときや別れるときにホッとするよね。
協力を取り付けたときなんかは『ありがとうございます!!』って満面に感謝をもちろん伝えるし、それで終わった氣になってしまう。
だけど、協力してくれた人は「その後」をこそ氣にしてくれているものだ。
わたしのあの助言を活用してどうなったのか?
僕の紹介したあの人とその後どんなお話になったのか?などなど・・・
うまく繋がればもちろん連絡してるかな?
でもうまく繋がらなかった、実らなかったそんなときこそお礼と報告を大切にしてみるといい。
それは相手への敬意だ。
あれ?今日は先週お会いしたホンモノのことでも書こうかと思ったのに。
こういうものだ。
アンビバレンツの先にある想いを感じるわたしでありたい
魚だって氷から上がってきちゃう春、2月14日バレンタインデー。
チョコレートケーキを焼きながら(笑)
働くママをどう思うかについて考える。
素敵だと思う。
頑張ってほしいと思う。
甘いよ?って方も目につく。
働きたい!の思いの源。
仕事が好き?
好きなことで稼ぎたい?
お金が足りないから、稼がなくては!?
わたしは仕事をしているのが大好きだ。
働かざる者食うべからずという父のもとで育ったせいか、働いてお金を稼ぐことが最も承認欲求を満たしてくれる。
好きな働き方も自分で選んでいる、恵まれた環境にある。
ありがとうございます。
籠姫の見る仕事をするわたしの背中が、ピンと伸びているといいなぁと思う。